ショルダーハックス

本、音楽、映画、都市(ときどき食と旅) / 記憶、予感、今ここ

20160117 読書録 パステルゾーン者?から見た「フォーカス」(2015年11月、ダニエル・ゴールマン著、日本経済新聞出版社)

 昨年11月、勤め先で強制的に受けさせられる試験の勉強をしている最中、新聞上の広告で見かけた。一目見て、試験が終わったら絶対に読もうと思っていた。

 昔から集中力にむらがあったり、様々な考えが頭に溢れて苦しくなることがあった。2〜3年前、年上の親戚の方から、それってADHDじゃない?と言われて以来、少しずつその分野の情報収集をしている。親から言われたことも、診断を受けたこともないが、彼らへのアプローチは自分にとっても有効なものがあり、生活のなかで試している。そんなわけで、試験を終えた昨年末に即購入。冬休みに1周目、昨日2周目を読み終えた。

 市井に生きる一個人として充実した人生を送ることから、組織トップの選択、さらには環境問題などの地球規模の問題への対処まで、自分への集中、他者への集中、自分の置かれている環境についての集中、の3種類の注意が必要だ、と筆者は主張している。自分がブックマークしたのは注意のメカニズム等についてのページだが、本を通じて、自分の集中力のあり方と他者への共感、自分の置かれている環境との関わり方を説いている。暫くして再読すると新しい発見があるかもしれない。またADD/ADHD分野の本で、「こうすると良い」とふわっと書かれていることも、脳の働くメカニズムや研究論文を引用しながら繰り返し解説されており、腑に落ちた。(自分も含め、「なんでそんなことするの?」と、仕組みを理解しないと行動に移せない人には是非読んでほしい。)

 

下記、読書メモ。(ちなみにこの本を読んで、マインドフルネス瞑想を取り入れてみた。自分が今集中している/気が逸れているのがわかるようになった。)

 

・我々がノイズの多い日常生活で、一つのタスクに集中できるのは、「選択的注意」が働いているから。 

・選択的注意は、五感からのインプットである感覚的要因や、焦り、不安等の情動的要因により阻害される。特に、情動が大きくなればなるほど、注意が削がれ、目の前のことに集中できなくなる。集中できなくなることは、パフォーマンスの低下につながる。

・脳には2つのシステムがあり、ボトムアップ(常に起動しており、反応が早い。受動的注意、衝動、自動的習慣など)のシステムと、トップダウン(起動するまで比較的時間がかかるが、衝動を抑制する。能動的注意、意志力、意図的選択など)がある。

・情動が注意を阻害しても、能動的注意が働いていれば、情動をトップダウンで制御することもできる。(ちなみに心の動揺から回復するときは、脳内では前頭前野が働いている)

・脳内で起こる夢想と集中はトレードオフの関係にあり、夢想のさなか、いま自分が夢想していると気づくのは難しい。

・夢想を沈めるにはマインドフルネス(瞑想)が有効。

・集中力を回復させるには、自然のなかで受動的に過ごすのがよい。

・直観は、内蔵等の身体的なコンディションと繋がっている。(「自分の内なる声」、情動も同じく。脳内では島皮質が身体の臓器の状態をモニターしている)

・自制・意志力は、なんと(!)IQとは独立した、人生の社会的成功の変数となりうる。

・注意力を鍛えるのにも瞑想は有効。瞑想中、自分の集中が逸れたときに意識を引き戻すことがトレーニングとなる。

・気分がポジティブでいるとき、報酬系を含む左脳が活性化し、目標達成への意欲を後押しする。

・自分の長所を伸ばすことを考えることは、望ましい未来へ向かおうとする意欲を強め、他者や自分と違うアイデア、新しい世界に対して寛大になれる。また、ポジティブさはトレーニングを楽しいものにしてくれる。

・逆に、短所(会社の成績でも、学校のテストでも)をクローズアップすることは、不安や自責を発生させる。子供がテストで成績の上がらないことを責め、子供に罰を与え続ける親のアプローチは最悪で、罰に対する不安が前頭前野の働きを阻害し、勉強に集中できなくなり、ますます成績が落ちる。

・自己認識を高めることで、自己管理能力が高まる。自己認識と共感を高めることで、自分が他人にどんな影響を与えているかも分かるようになる。

20151229 Cherryboy Function New Album Release Party

 神宮前Galaxyは初めて行くクラブだった。キャットストリートの外れ、原宿と渋谷の間らへんにある。google mapの指し示したポイントがずれていて、渋谷川沿いを少しうろうろしたけど、最終的にbillabongが入っているビルの地下一階にあることを突き止めた。

 ビル脇の階段から地下に降り、ごく狭いエントランスでフィーを払う。防音扉を開けると、白くクリーンな壁、ミラーボール、奥のステージで既に盛り上がっている観客とアシッドの効いた音楽が視界と耳に飛びこんで来た。入場して驚いたのは、煙草臭くないこと。フロアは禁煙で、会場の外に喫煙所がある。お気に入りの服が煙草臭くなることを気にしないで済むのはとても快適だ。手前のバーカウンターでビールを頼む。バーカンのお兄さんお姉さんも優しそう。お、ワイパの横にトーフビーツがいる。入って早々、ナイスパーティの予感がする。

 アシッドを鳴らしていたのはデデマウスだった。彼をライブで見たのは初めて?いや、10年近く前の早稲田祭で一度観ていると思う。自分の中の彼のディスコグラフィもBaby Star Jamで止まっているが、この日のセットは、前のめりなテクノ。「皆さん、今日はなんのパーティか分かってますか!チェリボファンクションのフルアルバムリリースパーティですよ!」「チェリボファンクションを見に来てるんですよ!わかってるんですか?!」MCでデデ氏が煽る。で、自分の後ろで大声をあげていたのがチェリボこと権田山さんご本人。

 セットの最後の曲は、新しいアルバムの表題曲Farewell Holiday。「みなさんの小さい頃の思い出、ひりひりしたことを思い出させて、その傷跡に塩を塗り込むような曲です!」言って演奏したのは、人のいない遊園地で廻っているメリーゴーランドのような、ドリーミーでロマンチックな曲だった。

 デデ氏が終わってからはワイパのDJ。DJブースは、フロアの真ん中にライブステージと対面する形で設営されており、ブースの後ろにも観客が居る格好になる。(ボイラールームっぽいな...)と一人で興奮。この日のセットはハウス多め?で、ムーディかつエモーショナルな展開で場のテンションを更に押し上げてゆく。途中、権田山さんが曲に合わせて手を脚に叩き付けクラップ音を出していたDJの終盤、TofubeatsのI believe in youがかかったけど、ひょっとしたらCherryboy Functionリミックスだった?(Positive Remixiesも楽しみ)

 ワイパの最後の曲にBPMをそろえて被せる(!?)形で、そのままチェリボのライブに雪崩れ込む。フロアからは歓喜と、演者からはどよめきが起こる。その後はクソ盛り上がってあまり覚えていないが、前半は新しいアルバムからの曲、後半にEndless Lovers、Gauche Experienceなどの過去の名曲。汗だく。

 チェリボさんライブの最後の曲に、BPMを揃えて再び被せ返す形で、トマド社長とワイパのB2Bに移ってラストまで。一番最後の曲はgalaxy to galaxyのhi-tech jazzで、サックスのフレーズの合唱になった。会場も電気が点き、パーティの主役の去ったライブステージをふと振り返ると、ドリアンさんがそこに佇んでいて、権田山さんのMC-505をしげしげと見つめていた。彼は何を考えていたのだろう?頭が熱狂から引き戻されて、その光景が瞼に焼き付いている。

 

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テスト / 20151010わたしに会うまでの1600キロ@立川

 立川シネマシティ1の、8階Jスタジオ。部屋が狭い。一列20人もないだろうか、それが5〜6列。席も昔の映画館の椅子という感じ。開始につれて人がさらに増え、自分の両隣りが埋まって、ますます狭く感じる。

 映画の始まりのシーン。主人公が小高い山をゼイゼイいいながら上ってくる。頂きに座って、登山靴を脱ぐと、靴下の足の先が赤黒く染まっている。つま先をそっと触って気にしているうちに、脱いだ登山靴に体が触れてしまい、靴は山肌を転がってゆく。あぜんとする主人公。直後、もう片方の靴も脱いで「くそがーー!!」って叫んで靴を放り投げる。笑うシーンだと思ったら、複数のシーンがフラッシュバックして、笑いが止まる。

 

 結婚後の性的堕落、薬物中毒、中絶を経ての離婚。そして女手一つできょうだいを育て上げ、自分の人生を謳歌しようとしたそのときに死んでしまった、最愛の母親。彼女が愛してくれた自分を取り戻すために、主人公のシェリルは旅に出る。触ったこともないキャンプ道具を背負い、こんなの始めなきゃよかったと思いながら、彼女はパシフィック・クレスト・トレイル(アメリカ西海岸の南北を貫く自然歩道)を歩き始める。男性から一人旅をしていることの物珍しさを根掘り葉掘り聞かれたり(男性の一人旅であれば声はかけられない)、ハンターから性的対象として迫られる危ない場面もある。が、彼女の道中を助け、励ましてくれるのも男性だった。母親の死、トラウマを乗り越え、内面の強さを取り戻しながら、シェリルはトレイルを歩き続ける。あらすじとしてはこんな感じ。

 以下好きなシーン、考えたこと。(映画の内容を含む)

 

 フラッシュバックのシーンがとても自然に始まり、自然に終わる。例えば防犯の為のホイッスルを主人公が口に咥えた瞬間、口の感覚がトリガーになって、セックス中に相手の指を咥えるシーンが出てきたりする。ひとつひとつのチャプターがサラッと終わったり、笑えるシーンが用意されているところは、重たくなりがちなテーマが軽くなるよう、工夫されている。ジャーナリストに一人旅の理由をしつこく聞かれた挙げ句、放置プレイを食らうシーンとか、ガキんちょ3人組がじゃれあうシーンとか。

 

 物語の後半、滞在したある町で、彼女が新しい服を買い、口紅を引いてライブハウスに行き、ライブハウスのビラ配りの男性と一夜を過ごすエピソードが好きだ。こういうことは、自分で自分自身の魅力を認めていないと、出来ることではない。ワンナイトスタンドを終えて、朝も早く彼女は男性の家を出る。セックスしたいからセックスして、おしまい!ってな感じが見ていて清々しい。過去、性的に放埒だった彼女がこんな行動をとれるようになったのは、彼女が精神的に立ち直りつつある証左でもあるだろう。映画を通じて彼女の冒険を見届けることは、彼女が立ち直る過程に伴走し、心の回復を追体験することと同じだ。

 シェリルは日中にトレイルを歩き、夜になると、テントの中で日記を書いたり詩を読んだりしていた。劇中で引用されていたのは、アドリエンヌ・リッチ(Adrienne Rich)のPowerという詩で、科学者で有名なキュリー夫人の死因が、彼女が研究対象として一生を捧げた放射線であることを題材にしている。

She died a famous woman denying her wounds
denying her wounds came from the same source as her power

この一説を主人公は反芻している。

彼女が過去に負った傷(この映画では、母親にまつわる悲痛なトラウマ)は、彼女がそれを再解釈し、乗り越えたとき、彼女に力を与えるものに変化した。傷口と、彼女の力の根源は同じものであること。自分の心の中に、一つのアイデアとして残った。