ショルダーハックス

本、音楽、映画、都市(ときどき食と旅) / 記憶、予感、今ここ

テスト / 20151010わたしに会うまでの1600キロ@立川

 立川シネマシティ1の、8階Jスタジオ。部屋が狭い。一列20人もないだろうか、それが5〜6列。席も昔の映画館の椅子という感じ。開始につれて人がさらに増え、自分の両隣りが埋まって、ますます狭く感じる。

 映画の始まりのシーン。主人公が小高い山をゼイゼイいいながら上ってくる。頂きに座って、登山靴を脱ぐと、靴下の足の先が赤黒く染まっている。つま先をそっと触って気にしているうちに、脱いだ登山靴に体が触れてしまい、靴は山肌を転がってゆく。あぜんとする主人公。直後、もう片方の靴も脱いで「くそがーー!!」って叫んで靴を放り投げる。笑うシーンだと思ったら、複数のシーンがフラッシュバックして、笑いが止まる。

 

 結婚後の性的堕落、薬物中毒、中絶を経ての離婚。そして女手一つできょうだいを育て上げ、自分の人生を謳歌しようとしたそのときに死んでしまった、最愛の母親。彼女が愛してくれた自分を取り戻すために、主人公のシェリルは旅に出る。触ったこともないキャンプ道具を背負い、こんなの始めなきゃよかったと思いながら、彼女はパシフィック・クレスト・トレイル(アメリカ西海岸の南北を貫く自然歩道)を歩き始める。男性から一人旅をしていることの物珍しさを根掘り葉掘り聞かれたり(男性の一人旅であれば声はかけられない)、ハンターから性的対象として迫られる危ない場面もある。が、彼女の道中を助け、励ましてくれるのも男性だった。母親の死、トラウマを乗り越え、内面の強さを取り戻しながら、シェリルはトレイルを歩き続ける。あらすじとしてはこんな感じ。

 以下好きなシーン、考えたこと。(映画の内容を含む)

 

 フラッシュバックのシーンがとても自然に始まり、自然に終わる。例えば防犯の為のホイッスルを主人公が口に咥えた瞬間、口の感覚がトリガーになって、セックス中に相手の指を咥えるシーンが出てきたりする。ひとつひとつのチャプターがサラッと終わったり、笑えるシーンが用意されているところは、重たくなりがちなテーマが軽くなるよう、工夫されている。ジャーナリストに一人旅の理由をしつこく聞かれた挙げ句、放置プレイを食らうシーンとか、ガキんちょ3人組がじゃれあうシーンとか。

 

 物語の後半、滞在したある町で、彼女が新しい服を買い、口紅を引いてライブハウスに行き、ライブハウスのビラ配りの男性と一夜を過ごすエピソードが好きだ。こういうことは、自分で自分自身の魅力を認めていないと、出来ることではない。ワンナイトスタンドを終えて、朝も早く彼女は男性の家を出る。セックスしたいからセックスして、おしまい!ってな感じが見ていて清々しい。過去、性的に放埒だった彼女がこんな行動をとれるようになったのは、彼女が精神的に立ち直りつつある証左でもあるだろう。映画を通じて彼女の冒険を見届けることは、彼女が立ち直る過程に伴走し、心の回復を追体験することと同じだ。

 シェリルは日中にトレイルを歩き、夜になると、テントの中で日記を書いたり詩を読んだりしていた。劇中で引用されていたのは、アドリエンヌ・リッチ(Adrienne Rich)のPowerという詩で、科学者で有名なキュリー夫人の死因が、彼女が研究対象として一生を捧げた放射線であることを題材にしている。

She died a famous woman denying her wounds
denying her wounds came from the same source as her power

この一説を主人公は反芻している。

彼女が過去に負った傷(この映画では、母親にまつわる悲痛なトラウマ)は、彼女がそれを再解釈し、乗り越えたとき、彼女に力を与えるものに変化した。傷口と、彼女の力の根源は同じものであること。自分の心の中に、一つのアイデアとして残った。